若竹屋紬店/紬ギャラリー繭の家案内 上田紬 当地ゆかりの茶の名物裂

目的別早見一覧

別所温泉散歩道(全) 湯っ足り 塩田北条氏 別所温泉に想いを寄せた歌人達 伝説
別所温泉奇祭「岳の幟」 恋愛成就 真田一族 別所温泉を小説の中に取り入れた作家 民話
上田市 真田町 東部町 丸子町 長門町 武石村 青木村 和田村 望月町 別所温泉歳時記
若竹屋紬店ホームページ総合御案内

 若竹屋紬店主要(上田紬)取り扱い商品御案内

 
    

    若竹屋紬店 本店              若竹屋紬店 支店 

       
 
   本店 店舗              本店 店舗
   
上田紬(つむぎ)

信濃の国は千年の昔から都との交流が深く、その当時から絹の里であったと言われております。四百年に近い伝統を持つ上田紬は、素朴さの中にも古典的な美しさを持つ紬で、あきのこない当地方第一の特産品でございます。上田紬は、天正十一年真田幸村の父昌幸が上田に築城してから真田織として、科皮等を農民に織らせたことから始まります。江戸時代になって当地方に養蚕業が盛んになりますと、真綿からつむがれた糸を使うことが考えられ、それからは上田紬と言われるようになりました。四代将軍家綱公の時代には京・大阪では非常に流行し、紬の飛脚が立ち、大阪のなにわには、上田物産さばき所が開設されました。問屋日記によりますと文化・文政時代の一年の取扱高は七万反〜八万反であったと記されております。当時大阪の人口は三十五万、江戸は百三十万でありましたので、上田紬は大変もてはやされたわけでございます。こうして大勢の人達と共に歩んで来た紬でございますので、そこには巧まずして昔をしのばせる郷愁がこもっております。遠い幼かった頃を想い起すようななつかしい感触之が上田紬の味と申しましょうか…。また上田紬は、結城紬(茨城県)・大島紬(鹿児島県)と並んで、日本の三大紬の一つに数えられております。

当店の上田紬製品は、他店では販売されておりません。
 
       

    
             

         上田紬/七久里(ななくり)縞
 
上田紬/七久里縞(別所温泉縞七久里=ななくり

千二百年の歴史を秘める名湯別所温泉は、平安時代の昔にさかのぼる頃は「七久里(ななくり)の湯」と呼ばれていました。清少納言もその署『枕草子』に「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯…」と、例の口調で温泉として好ましいものの第一に数えており、その当時から広く世に知れ渡っていた信濃第一の湯どころでありました。いつの頃から七久里の湯と呼ばれていたのか詳らかではないのですが、伝説によれば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)によって開かれたと伝えられております。日本武尊が東征のとき、保福寺峠にさしかかると霧の中から白髪の老翁が現れ、「この山中に七つ湯がわき、これが人々の苦を助ける。尊これを開きたまえ」と教えました。山中を探すとまさに七つの出湯があり、これが兵士の傷をいやしたので七つの傷(苦)をいやす(離れる)湯つまり「七苦離の湯」と名付けたのだといいます。下って、天正六年(1578)の上諏訪造宮清書帳に「三御柱小県郡、塩田拾二郷…別所郷…」と見え、すでに中世には「別所」の名で呼ばれていたことがわかっています。別所温泉の由来は、鎌倉幕府執権・北条氏の一門としてこの地方を統治した塩田北条氏の別院(あるいは別荘)が営まれていたことによります。江戸時代は上田藩領で、大湯・大師湯・石湯・長命湯・こが湯の源泉湯五ヶ所がありました。またこの出湯が長く栄えるようにと『七久里』ともいったそうです。泉質は単純硫黄泉で、胃腸病、リューマチ、外傷などに効果があります。当店では、この七久里の湯に因み、上田紬で七久里の湯を七色の縞柄で表現この縞柄を特に『七久里縞』と名付けました。すなわち、七色で『七つの湯』を表現しました。そしてその縞を太線・中線・細線と分け、現在ある『石湯』『大湯』『大師湯』を太線で表わしております。『石湯』は、野飼いの牛が谷へころげ落ちて脚をいためたのを治したので牛湯といい、転じて石湯となったとする説があります。自然の岩石をうがってつくられていたので、はじめから石湯といったともいわれております。池波正太郎の『真田太平記』には、この石湯がしばしば登場しており、『真田幸村公隠しの湯』としても知られております。『大湯』は、木曽義仲と愛妾葵との入浴のロマンが、吉川英治の『新平家物語』に描かれており、『葵の湯』ともよばれております。『大師湯』は、円仁・慈覚大師が入浴して、病気を治し、自像を刻んでおいたのでこの名がつきました。北向観音の信者たちが入り『籠り湯』とも、また『永寿湯』ともよばれています。中線は、昔存在し、場所も確認され、廃湯になった『玄斎の湯』『久我湯』を表わしております。『玄斎の湯』の由来は、その近くに大湯薬師堂があり、開創は、弘安四年(1281)玄斉大徳の開基と伝えられておりますところから付けられた名前だと推測されます。現在は、つるや旅館となっております。なお細線は、残りの二湯を表わしておりますが、場所も確認できなく、また存在したどうかもはっきりしませんので、白線・黒線で表現してみました。そしてこの縞を『春夏秋冬』 と四種類作成し、別所温泉の四季を色柄で区別してみました。当店のこの七久里縞上田紬製品は、他店では販売されておりません。

文化勲章受章者 国指定伝統工芸士星野五郎氏製作(手織)

星野紬工房は、以前は桐生で織屋を家業としておりましたが、大正八、九年頃、現在の当主星野五郎氏の御父が、織物を指導するため上田に来られたのが始まりです。戦前は白生地(縮緬等)ほか銘仙などを織り、戦中戦後の苦難の時代を過ぎ、昭和二十四、五年頃から手織の上田紬の仕事に従事しました。戦後数人の有志が紬織物の研究に力を入れていた頃、星野工房に取引先からの紬を使って絽を織ってほしいとの依頼があり、父子で絽紬の研究をしたが、手織では、絽目をそろえる事は、なかなか難しく、幾度か失敗を繰り返しながら数年がかりで商品化に成功し、今日の絽の上田紬となったのです。星野五郎氏は、この絽紬の他に、上田では、真田入(真田紐織…綾織)の第一人者でもあります。それらの業績が認められ、平成十二年、織物関係者では、最初の文化勲章受章(青色桐葉章)という栄誉に輝きました。
星野五郎作 手織上田紬着尺(上田縞・真田幸村公ゆかりの紬・塩田北条氏ゆかりの紬等)
星野五郎作 手織上田紬当店開発オリジナルネクタイ・袋物各種真田幸村公ゆかりの紬塩田北条氏ゆかりの紬・江戸格子縞・千鳥格子縞
星野五郎作 手織当店開発オリジナル当地ゆかりの茶の名物裂
織・信州の鎌倉間道(登録商標)・手織/十色真田入間道(真田紐織)・手織/五色真田入間道(真田紐織)・手織/青木間道(真田入)(真田紐織)・手織/望月間道(真田入)(真田紐織)…茶道製品各種
 これらの製品は、開発商品として、
当店だけの限定販売となっております。


上田紬/江戸格子縞・千鳥格子縞(手織) 井原西鶴(碁盤縞)

江戸時代の読み物には、随所に上田紬の記事が載せられています。たとえば井原西鶴の「日本永代蔵」には、「この手紬の碁盤縞は命知らずとて親仁の着たる」などがあります。この碁盤縞は、上田紬の特徴とした縞柄で現在の格子縞をいいます。格子縞とは、文様の一種で、細い角木を縦横に間を透かして組んだものを格子といい、この格子の目のようなものを格子縞といいます。当店では、江戸時代、「歌舞伎」などにもてはやされた格子縞「いわゆる江戸格子縞・千鳥格子縞」と「碁盤縞」を参考に、現代感覚を取り入れて製作し、これを「江戸格子縞上田紬」「千鳥格子縞上田紬」と名づけ、格式ある上田紬としてご愛顧いただいております。この製品は、星野五郎氏(文化勲章受章者・国指定伝統工芸士)の織った織物で、開発商品として、当店だけの限定販売となっており、他店では販売されておりません。

夏のおしゃれ…絽紬ネクタイ(手織)

絽は織物組織からいいますと、「からみ織」とか「もじり織」とかいわれるものの一種で、平織りの間に糸のからみによってすき間(絽目といいますが)を入れたものをいいます。絽は手織では絽目をそろえる事はなかなかむづかしく、これを紬糸で織るのはなおさらです。当店では、こうして織られた絽紬でネクタイを製作しました。絽紬ネクタイは、盛夏はいうまでもなく、普段でも気軽に締められ、締め心地もよく、染色の加工も色々変化のあるものが出来るようになりました。このネクタイによって今までより絽の利用範囲も広くなり、大変好評を得ております。
この製品は、星野五郎氏(文化勲章受章者・国指定伝統工芸士)の織った織物で、当店だけの限定販売となっております。

手織・古典縞(小岩井紬工房・小岩井武)

昔なつかしい故郷(古里)を想い、上田紬の伝統を現代に伝える

上田紬の復興は、第二次世界大戦後、金井章次(元蒙古政府最高顧問)医師らの努力が実って復活しました。当時、金井章次氏は、自宅の一部を開放して上田紬の改良と復興にあたっていましたが、その門をたたいのが、小岩井工房・小岩井武(国指定伝統工芸士)氏の御母小岩井雅代女史でした。「上田紬を始めようと思い立ちましたのは、戦後の昭和二十三年の春頃でした。」…。「先生は、まれに見る御人格の明るいきれいな方、心底人を引き付けるような態度で、私の希望をむしろ励ますように色々のことを教えてくださいました。(中略)小岩井さん、上田紬の復興のためにも、絶対によいものを作ってみないか、と力を入れておっしゃるのでした。」(「紬」2号)。戦後の上田紬の復活は金井章次氏の努力に負うところが大きいですが、小岩井女史も彼の指導によって、紬織の道を歩んだのです。生糸相場の激しい変動に悩ませながら、織り方や染色などの技術を重ね、現在の小岩井紬工房があるのです。当店では、手織のみをかたくなに守り続けている小岩井紬工房・小岩井武氏の協賛により、上田紬製品を限定製作し、その製品を特に、手織上田紬「古典縞」と名付けました。   (「古典」……過去を代表し現代にも生命力をもつ作品。…辞典より…)
この製品は、当店だけの限定販売となっており、他店では販売されておりません。

七久里(ななくり)の湯(石湯・大師湯・大湯・久我湯・玄斎の湯に関しての民話・伝説は、民話コースに詳しく載っております。民話コースへ

「散歩道クイズ(全12問)」

2 別所温泉は、何故「信州の鎌倉」と呼ばれているのでしょうか?
7 真田昌幸・真田幸村親子が現在にまで残した工芸品は何でしょうか?二つあげて下さい。
10 別所温泉は、別名「七久里(ななくり)」と呼ばれているのは何故でしょうか?

「散歩道クイズ解答」は別所温泉散歩道(全)に記載されております。

若竹屋紬店/紬ギャラリー繭の家案内 上田紬 当地ゆかりの茶の名物裂

目的別早見一覧

別所温泉散歩道(全) 湯っ足り 塩田北条氏 別所温泉に想いを寄せた歌人達 伝説
別所温泉奇祭「岳の幟」 恋愛成就 真田一族 別所温泉を小説の中に取り入れた作家 民話
上田市 真田町 東部町 丸子町 長門町 武石村 青木村 和田村 望月町 別所温泉歳時記