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当地ゆかりの茶の名物裂


 
               
    
  手織・信州の鎌倉間道                     手織・信州の鎌倉間道

 
 手織・信州の鎌倉間道(登録商標) 

宝治年間(1247〜1249年)鎌倉幕府三代の執権北条泰時の命を受けた弟の北条重時は将来の鎌倉幕府安泰を期するため第二の鎌倉を造らんと図り、この地に塩田城を構築し鎌倉−塩田の間を街道によって結び常に「いざ鎌倉」の時に備えていました。塩田城は三代五十有余年続き鎌倉幕府は武士のみでなく僧侶達も学問の道として繁く往来し、塩田の郷には鎌倉文化の華が咲いたのであります。然し元弘三年鎌倉幕府は新田義貞に攻められ滅亡しました。塩田北条氏も一族挙げて之が応援に趣き運命を共にしたのであります。北条氏は滅びましたが当時の遺跡が数多くこの地に残されており郷愁をそそるところから別所温泉の里を「信州の鎌倉」と呼んでおります。当店では鎌倉幕府時代に(源頼朝ー北条氏)名物裂として武将に珍重された織物『鎌倉間道」をその美しく優雅な織を損なわないよう再現し、この地に因み「信州の鎌倉間道」と名付け茶道具製品を作りました。地色の美しさ、文様の洗練、織りの精工は自信をもっておすすめ出来ますものと信じております。この製品は、他店では、販売されておりません。塩田北条氏コースへ


手織・五色真田入間道/手織・十色真田入間道


    

        手織・五色真田入間道                手織・十色真田入間道

手織・青木間道真田紐織/手織・望月間道真田紐織

    


        手織・青木間道(真田紐織)             手織・望月間道(真田紐織)

間道(茶の名物裂の一種)

間道(かんどう)は、正式にはかんとうと読みます。また間道は、漢島・漢東・広東など種々字が当てられております。もともと南方から伝えられ、のち中部シナ辺でも織られ高級な絹製の縞織物で、十六・七世紀ごろ盛んにわが国に舶載され、その渋味のある縞柄、色合いが賞美され、茶人の間に名物裂として珍重されてきました。当店では、古来から伝統ある名物裂「五色間道」「十色間道」「青木間道」「望月間道」に当地の名将真田幸村の父昌幸が上田に築城してから真田織として科皮等を農民に織らせた織物(いわゆる上田紬の元になった織物ー真田織⇒真田幸村は、この真田織をヒントにして真田紐を考案したといわれている。)を取り入れそれぞれ「五色真田入間道」「十色真田入間道」「青木間道/真田紐織」「望月間道/真田紐織」を製作しました。当店では、古ぶくさ・出しぶくさ・懐紙入れ・ふくさ入れ等茶道製品のみの限定販売を致しております。この製品は、他店では販売されておりません。

真田織(真田紐織)の起源

真田幸村公の父昌幸は、武田家が滅亡した翌年、天正十二年上田に城を築き、真田より上田に移りました。武田家から豊臣秀吉へと仕え、関ヶ原合戦には、信繁公(幸村)と共に豊臣方に属し、上田城にあって徳川秀忠軍の西上を阻止し、その為秀忠軍は、関ヶ原合戦に参加できませんでした。この責で真田父子は九度山に蟄居され、その後昌幸は病死、幸村は、大阪の陣において活躍しました。この戦いに幸村が好んで刀の柄に巻いた紐が真田の名の起源だというのが通説です。(真田紐=本来の真田紐は太い木綿糸で平たく編んだ組紐。幸村が刀の柄に巻いたところからつけられた名前)古くから刀の柄巻には、組紐が多く使われていますが、扁平な織りの紐を用いたところ、当時の人々に新奇なものと映ったのかも知れません。真田織とは、「さなだ」すなわち狭織のことで幅の細い織物をいいます。しかし今日真田といわれるものには地厚の細幅の織り紐と、平打ちあるいは袋打ちにした平組紐のような組紐系統のものとがあります。また名物裂、特に間道類に真田入りといわれるものがありますが、これは織物のある部分の絵緯(えぬき)糸を密な浮織りにして真田紐状に織り表したものをいいます。またこの真田の名前のつく織物は、茶道に多く見られます。(茶道での真田紐織は、正式名では、真田入・真田風打込みと称しています。)

手織青木間道(真田入)

近隣の地(青木村)に、古の浪漫を求め、かすかな期待を抱きつつ織り上げた絹織物
 名物裂では、縞織物を間道と呼びます。青木間道の名称は、秀吉の配下の武将で利休門下の茶人青木伊予守一矩が所蔵していたことによるとも、同家臣青木法印重直によるとも伝えられております。製作は、中国明時代、又は、インド、ペルシャ産とも言われています。桃山時代に舶載されて茶人に愛好されました。当地の隣地に国宝大法寺のある青木村があります。青木間道とは直接関係ありませんが、何か同名の不思議な縁で結ばれているかもしれません。そんな思いを込めて、名物裂間道の中から敢えてこの青木間道を選んで製作致しました。

手織望月間道(真田入)

近隣の地(望月町)古の浪漫を求め、かすかな期待を抱きつつ織り上げた絹織物
名物裂では、縞織物を間道と呼びます。望月間道の名称は、織部流の茶人望月宗竹の所伝によりこの名前があります。数種類あって、縞柄に多少差があります。中国明代中期の製作と思われておりますが、トルコ、インド産とする説もあります。当地の近地に真田十勇士の一人望月六郎の出身地望月町があります。望月姓は、
真田氏の祖である滋野三家のひとつ望月氏の流れをくんだ名家です。同じ望月姓なので、望月間道と何か同名の不思議な縁で結ばれているのかもしれません。そんな思いを込めて、名物裂間道の中から敢えてこの望月間道を選んで製作致しました

表千家堀内宗匠 第四回御好み帛紗(青木間道)
名物裂では、縞織物を間道と呼び、漢島、漢東、漢渡、広東、閑島などの字を用います。青木間道の名称は、秀吉配下の武将で利休門下の茶人青木伊予守一矩が所蔵していた事によると伝えられ、組織は平組織、色は淡茶、茶、丁子、紺、黄の落ち着いた美しい五色がほぼ同じ巾で織り返されおり、各色の間には黒の細筋が加えられ新鮮な感覚が一層明快にあらわれています。製作は中国明時代、又はインド、ペルシャ産とも言われています。本品は、名物裂間道より堀内宗匠みずから選ばれた青木間道を謹製織した、第四回御好み帛紗でございます。昭和六十二年一月 製織なかざわ織物
当店では、この青木間道を参考に星野五郎氏(文化勲章受章者・国指定伝統工芸士)に依頼し、真田入りを入れて織っていただきました。その製品が手織・青木間道(真田入)(真田紐織)織物です。尚堀内宗匠御好み帛紗は、本店二階紬ギャラリー繭の家にて展示してあります。

堀内宗匠(堀内宗完)表千家重鎮
大正八年一月京都生まれ、昭和十九年九月、京都帝国大学理学部卒業、同理学部副手、昭和二十一年二月、幽峯斎宗完(他次郎)の死去に逢い、長生庵をつぐ。同年四月、表千家不審菴入門、以後内弟子として即中斎宗匠に師事。同年十二月、建仁寺竹田益州老大師より兼中斎の斎号を受く。昭和二十八年四月、北野天満宮千五十年万燈会献茶奉仕に際し、宗完襲名。以後財団法人不審菴理事、社団法人表千家同門会理事として今日に至る。昭和六十年十月
茶道製品紹介茶杓入れ(間道製品各種) 指輪入れ(間道製品・上田紬製品各種) ◎古ぶくさ(間道製品・真田幸村公ゆかりの紬製品・七久里(ななくり)縞紬製品・上田紬製品各種) 出しぶくさ(間道製品・真田幸村公ゆかりの紬製品・七久里縞製品・上田紬製品各種)
◎懐紙入れ(間道製品・真田幸村公ゆかりの紬製品・七久里縞製品・上田紬製品各種)
 ◎ふくさ入れ(間道製品・真田幸村公ゆかりの紬製品・七久里 縞製品・上田紬製品各種) ◎
茶箱入れ(間道製品各種)

当地ゆかりの茶の名物裂・茶道製品開発者
竹内いよ子(表千家茶道教授)
竹内克也(表千家茶道教授)
茶道に興味のある方は、上田紬紅葉展を御覧下さい

「散歩道クイズ(全12問)」

2 別所温泉は、何故「信州の鎌倉」と呼ばれているのでしょうか?
7 真田昌幸・真田幸村親子が現在にまで残した工芸品は何でしょうか?二つあげて下さい。
「散歩道クイズ解答」は別所温泉散歩道(全)に記載されております。

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